世界大百科事典(旧版)内の浜島庄兵衛の言及
【盗賊】より
…著名な盗賊鼠小僧次郎吉は,諸大名を中心に延べ100余軒の武家屋敷から計3000余両を盗み,1832年(天保3)に獄門に処せられたが,義賊であったという証拠はない。歌舞伎の白浪物は盗賊を美化して描いているが,なかでも《白浪五人男》の日本駄右衛門は,東海道を荒らし回った大盗賊団の首領で,1747年(延享4)に獄門となった浜島庄兵衛(異名,日本左衛門)をモデルとしている。大凧に乗って名古屋城の金鯱(きんしやち)を盗んだという伝説がつくられた柿木金助は,尾張国中島郡柿木島村の生れで,多数の手下とともに豪農豪商の家へ盗みに押し入ることを重ねたが,1763年(宝暦13)名古屋町中引廻しのうえ獄門となった。…
※「浜島庄兵衛」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」