世界大百科事典(旧版)内の海賊禁止令の言及
【鎖国】より
…マカオが海賊退治の報償として明から割譲された事実に示されているように,ポルトガルは崩壊した東アジアの公的通交秩序に代わり,仲介貿易の担い手として利益を得ようとしたのである。秀吉は1588年7月海賊禁止令を公布して私貿易の取締りを徹底し,貿易統制に乗り出したが,生糸貿易の主要な部分はポルトガルとイエズス会に掌握されていたため,その関心は買占めへと向かった。89年と推定されている文書で,秀吉は島津領内に着いた黒船舶載生糸を買手の有無にかかわらず全量買い上げるよう命じ,あわせて黒船(ポルトガル船)の日本の港湾への入港の自由と,生糸の一括買上げを保証している。…
【兵農分離】より
…これによって被支配身分の者は武装を禁じられたのである。 刀狩令と同時に発せられた海賊禁止令(海上賊船禁止令)は,船頭・加子(かこ)(水主)から今後いっさいの海賊行為をしない旨の誓紙を徴収するものであるが,これを契機に,かつては各地の沿岸島嶼など海上交通の要衝を根拠地として活動した海賊衆は,諸大名の被官となり,水軍に組織されていった。一般漁民は武装解除されたうえ百姓身分となり,各地の沿岸で小規模漁業を営む専業者に確定づけられた。…
※「海賊禁止令」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」