世界大百科事典(旧版)内の淀関の言及
【関銭】より
…また1479年(文明11)に奈良大乗院から美濃明智庄まで酒だる3荷を運送した際に通過した12の関で,関銭は10~140文と差がみられる。このような関銭の年総額は鎌倉末期に高野山が管理した淀関で1500貫文,南北朝期の園城寺の管理の淀関で1100貫文,また室町期の兵庫関では定額2000貫だが,細川氏の押領により興福寺が700貫文,東大寺が900貫文を得ている。これら海・河上関は年貢の運送船の往来も頻繁で,また回漕量も多かったため巨額な関銭収入を得ていた。…
※「淀関」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」