世界大百科事典(旧版)内の淡島願人の言及
【淡島信仰】より
…一説に淡島様は住吉明神の妻神であったが帯下(たいげ)の病にかかり,熊野の淡島に流され,女の守り神になったともいう。江戸中期からは淡島願人(がんにん)と称する乞食坊主が,神棚を背負い祭文を唱えながら縁起や功徳を説いて各地をまわり,この信仰を広めた。淡島様には婦人病や花柳病の者が腰巻や布きれを奉納して平癒を祈願するが,安産や縁結びの神として信仰したり,人形や凹形の石を奉納する所もある。…
【針】より
…また12月8日は,一年の大きな折り目とされ,富山県の海岸地方ではハリセンボン(針千本)という魚が流れてくるといい,石川県能登地方では針歳暮(はりせいぼ)といって,この晩女の子のいる家ではあん入りの焼餅をやいて裁縫の上達を祈ったり,近所に贈ったりしたという。なお,江戸時代には淡島(あわしま)願人が,古針,折れ針を集めて歩いたといい,《続飛鳥川》という随筆には,その唱えごとも記されている。 戦争中には出征する兵士の無事を祈って,千人針の風習が街頭で行われたが,これは針に呪力を認め人々の魂を縫い込めて生命を守ろうと考えたのであろう。…
【針供養】より
…厄日と針の供養との結びつきについては定説がないが,古針を近くの淡島(あわしま)祠・堂へ納める例の多いことから,淡島信仰との結びつきが予想できる。淡島信仰の根拠地は女性に縁の深い和歌山市の加太神社で,この祭神を婆利塞女(頗梨采女)(はりさいによ)とする説があり,それを針に付会させて,江戸中期以降淡島願人という下級宗教者が説いて回ったと思われる。この説を各地の裁縫の師匠などが取り入れ,仕事を忌むべき日に針仕事を休んで淡島を信仰し,針の供養をしたのが,これの普及定着を促すことになったのであろう。…
※「淡島願人」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」