世界大百科事典(旧版)内の深川芸者の言及
【芸者】より
…これが明和(1764‐72)ごろに町芸者となり,料理茶屋,舟宿のほか武家,町方の屋敷に招かれて宴席に興を添え,遊山船行の供に出張するとともに,売春もした。これには弾圧もあったが,江戸末期になると各地で芸者遊びが盛んとなり,辰巳(たつみ)芸者,羽織芸者とも呼ばれた江戸の深川芸者が意気と俠気(きようき)とを認められたのを始め,遊郭に代わる新興歓楽地として活況を呈した。明治以後の東京では深川にかわって柳橋が盛んになり,やがて政・官・財界をあげて,新橋を中心として〈待合政治〉をくり広げたため花柳界は大発展した。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」