淵信(読み)えんしん

朝日日本歴史人物事典 「淵信」の解説

淵信

没年:没年不詳(没年不詳)
生年:正治2年頃(1200)
鎌倉後期の庄官。和泉法眼淵信,阿闍梨淵信ともいう。海上交通の要衝尾道を拠点として商業資本家的活動を行って,莫大な富を蓄え,「都市領主」「庄官的領主」ともいわれる。弘安~正安年間(1278~1302)にかけて高野山領の備後国(広島県)大田庄桑原方の預所を務め,永仁5(1297)年同庄大田方の預所にも補任されるが,庄官百姓らの反対で改易。大田庄の年貢を犯用し,伊予(愛媛),長門(山口),出雲(島根)などの荘園を請所として持ち,財宝蔵に満ち,栄耀身に余り,その勢いは守護もおよばぬと訴えられている。尾道の浄土寺・曼荼羅堂別当職を持ち,西大寺とも関係を持つ。<参考文献>松山宏『日本中世都市の研究』,瀬野精一郎「鎌倉期商業資本家的代官―備後国大田荘と和泉法眼淵信―」(『人物でたどる日本荘園史』)

(吉良国光)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「淵信」の解説

淵信 えんしん

和泉法眼淵信(いずみほうげん-えんしん)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android