…清原氏の嫡流。船橋とも書く。初め高倉と称したが,大蔵卿清原国賢の子である式部少輔秀賢のときに,左大臣近衛信尹の推挙によって堂上を勅許され,以来舟橋と称するようになった。家格は半家。明経道の家柄で代々儒道を家業とし,当主は明経博士となり,主水正,少納言,侍従を経て非参議に進むのを例とした。江戸時代には家禄400石を給された。秀賢は学才があり,徳川家康の命を受けて古書の収集に努め,また後陽成・後水尾両天皇の侍読を務めた。…
※「清原秀賢」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
「歓喜の歌」の合唱で知られ、聴力をほぼ失ったベートーベンが晩年に完成させた最後の交響曲。第4楽章にある合唱は人生の苦悩と喜び、全人類の兄弟愛をたたえたシラーの詩が基で欧州連合(EU)の歌にも指定され...