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舟橋秀賢 ふなはし ひでかた

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

舟橋秀賢 ふなはし-ひでかた

1575-1614 織豊-江戸時代前期の公家(くげ)。
天正(てんしょう)3年生まれ。清原国賢(くにかた)の子。明経(みょうぎょう)道を家業とする清原氏の嫡流で,秀賢の代から家名を舟橋とした。明経博士兼式部少輔(しょう),従四位上。後陽成天皇,後水尾(ごみずのお)天皇の侍読をつとめ,活字印刷の技術に通じた。慶長19年6月28日死去。40歳。日記に「慶長日件録」。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

舟橋秀賢

没年:慶長19.6.28(1614.8.3)
生年:天正3(1575)
安土桃山・江戸前期の公家。清原国賢の長男。慶長7(1602)年2月明経博士。同9年8月式部少輔に任じられ,従五位に叙せられた。同18年1月従四位。この間,同6年2月24日それまで称していた高倉を舟橋と改名するよう申し付けられた。後陽成天皇,後水尾天皇の侍読を務めた碩学で漢文,連歌など国文学に通暁していた。また,木製による活字印刷の技術を持ち,自ら『古文孝経』などを印刷している。下級の公家であるが,自らの才能を生かし徳川家康を始め多くの人々と交流を保っており,家康昵懇の公家衆22人のうちのひとりである。日記に『慶長日件録』(日本古典全集刊行会)がある。

(藤田恒春)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

ふなはしひでかた【舟橋秀賢】

1575‐1614(天正3‐慶長19)
江戸初期の公卿。明経博士。清原夏野27世。父は大蔵卿国賢。宣賢の玄孫。1584年蔵人左近将監,88年式部大丞,1601年舟橋と改姓,02年明経博士,04年従五位下式部少輔,以後従四位上に至り,後陽成,後水尾天皇の侍読を務めた。儒学旧注の伝統を維持し,その日記《慶長日件録》は近世初期研究の重要な史料である。【山本 武夫】

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世界大百科事典内の舟橋秀賢の言及

【慶長日件録】より

舟橋秀賢の日記。近世初期の宮廷内の行事,公家社会の漢学講習の状況,政権移動期の公武の人々の動き,京都の町の状況などを知る好史料である。…

【舟橋家】より

…清原氏の嫡流。船橋とも書く。初め高倉と称したが,大蔵卿清原国賢の子である式部少輔秀賢のときに,左大臣近衛信尹の推挙によって堂上を勅許され,以来舟橋と称するようになった。家格は半家。明経道の家柄で代々儒道を家業とし,当主は明経博士となり,主水正,少納言,侍従を経て非参議に進むのを例とした。江戸時代には家禄400石を給された。秀賢は学才があり,徳川家康の命を受けて古書の収集に努め,また後陽成・後水尾両天皇の侍読を務めた。…

※「舟橋秀賢」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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