改訂新版 世界大百科事典 「舟橋秀賢」の意味・わかりやすい解説
舟橋秀賢 (ふなはしひでかた)
生没年:1575-1614(天正3-慶長19)
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
(藤田恒春)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
…舟橋秀賢の日記。近世初期の宮廷内の行事,公家社会の漢学講習の状況,政権移動期の公武の人々の動き,京都の町の状況などを知る好史料である。…
…清原氏の嫡流。船橋とも書く。初め高倉と称したが,大蔵卿清原国賢の子である式部少輔秀賢のときに,左大臣近衛信尹の推挙によって堂上を勅許され,以来舟橋と称するようになった。家格は半家。明経道の家柄で代々儒道を家業とし,当主は明経博士となり,主水正,少納言,侍従を経て非参議に進むのを例とした。江戸時代には家禄400石を給された。秀賢は学才があり,徳川家康の命を受けて古書の収集に努め,また後陽成・後水尾両天皇の侍読を務めた。…
※「舟橋秀賢」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」