済州河(読み)さいしゅうが

世界大百科事典(旧版)内の済州河の言及

【大運河】より

…御河とは隋・唐の永済渠に当たり,淇門からのちは臨清を経て直沽(天津市)より大都に向かったのである。 南北に貫通する運河系統は,1283年(至元20)から92年にかけ,済州河,会通河,通恵河の3区間に分けて開かれた。第1の済州河は83年に開かれたもので,徐州の北の茶城から北西に向かい,済州(山東省済寧市)を経て須城県(山東省東平県)の安山に達し大清河(済水の故道)に連絡したのである。…

【大運河】より

…御河とは隋・唐の永済渠に当たり,淇門からのちは臨清を経て直沽(天津市)より大都に向かったのである。 南北に貫通する運河系統は,1283年(至元20)から92年にかけ,済州河,会通河,通恵河の3区間に分けて開かれた。第1の済州河は83年に開かれたもので,徐州の北の茶城から北西に向かい,済州(山東省済寧市)を経て須城県(山東省東平県)の安山に達し大清河(済水の故道)に連絡したのである。…

※「済州河」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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