世界大百科事典(旧版)内の満鉄鞍山製鉄所の言及
【鞍山】より
…また日露戦争の激戦の舞台ともなり,荒廃して東北の一寒村となった。しかし1909年に満鉄地質調査所がこの地に大鉄鉱床を発見(推定埋蔵量10億t),18年満鉄鞍山製鉄所が設立されて以降,第2次世界大戦前の日本の植民地統治下の時期を通じ一貫して重要製鉄業地帯であった。満鉄鞍山製鉄所は,33年には昭和製鋼所とその名を改め,数次の増産計画を実施,第2次大戦中には,本渓湖とならぶ中国東北部随一の製鉄所に成長していった。…
【本渓】より
…出資・役員構成は日中対等であったが,実情は両国政府の外交交渉を経て設立されたので日本の準国策会社的性格をもち,資金的・経営的実権は大倉側にあった。同公司は,満州における最初の近代的製鉄所であり,数年後に設立された満鉄鞍山製鉄所(のちの昭和製鋼所)とともに鉄不足に悩む日本経済に大きく寄与した。満州事変以後,関東軍の経済統制が強まり,満州産業開発5ヵ年計画が発足するなかで,1939年に満州重工業開発会社(鮎川=日産資本)が資本参加する形に改組された。…
※「満鉄鞍山製鉄所」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」