朝日日本歴史人物事典 「源是忠」の解説
源是忠
生年:天安1(857)
光孝天皇と仲野親王の娘班子女王の子。貞観12(870)年2月,父の申請により源姓を与えられ臣籍に下っているが,父の即位後,元慶8(884)年6月,あらためて賜姓され左京一条に登録されているのは皇位継承資格の放棄を再確認したものであろう。その後,近江守,左衛門督を経て中納言となったあと寛平3(891)年12月親王に立てられ,さらに輦車による宮中の出入りを許されるなど,変則的とも思える処遇を受けている。延喜20(920)年6月に出家(時に一品式部卿),2年後に没した。『拾遺往生伝』『元亨釈書』などに,三善清行の息浄蔵の祈祷で4日間蘇生したことを記す。邸宅南院(四条北,壬生西)にちなみ南院親王,南宮と称される。延喜6年の日本紀竟宴で詠んだ和歌1首が残る。
(瀧浪貞子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報