漏沢園(読み)ろうたくえん

世界大百科事典(旧版)内の漏沢園の言及

【救貧制度】より

…宋代に入って都市が発達し,貧しい人たちがそこに集まりはじめると,政府も本格的な救貧政策に取り組んだ。12世紀初め,北宋末の徽宗(きそう)時代はその一つのピークで,全国の府州県に居養院(養老),安済坊(医療),漏沢園(墓地)が設けられ,よるべなき貧窮者や死者を収容し,城郭内では,冬の数ヵ月間を限って食糧と寝所を提供する制度が定着化した。 南宋の国都臨安では,冬期に3日ないし5日に1回穀物を支給される貧民が5000人以上を数え,飢饉などの年には周囲よりの流入人口も加えておびただしい数にのぼった。…

※「漏沢園」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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