潘阜(読み)はんふ

世界大百科事典(旧版)内の潘阜の言及

【元】より

モンゴル帝国【愛宕 松男】
【日本との関係】
 1266年(文永3)フビライは通好のため黒的,殷弘を国信使として日本に派遣したが,風波が荒く,渡日せぬまま帰国した。翌67年フビライは高麗に命じて日本へ元の国書を伝達させ,高麗は潘阜を使者として日本に派遣した。潘阜は68年1月に大宰府に到着し,蒙古・高麗の国書は鎌倉幕府から朝廷に送られたが,朝廷は蒙古への返書をしなかった。…

【高麗】より

…黒的らは巨済島まで至ったが日本には渡らずにひきかえし,日本との交渉は不可能であると復命した。しかし,フビライは日本との交渉を継続させ,高麗ではこれをうけて潘阜らを日本に送ってモンゴルと高麗の国書を日本に伝えることにし,彼らは1268年に大宰府に到着した。こののちフビライは,日本招諭の使者をしきりに派遣したが,高麗は日・元間にあって,その衝突を不発におわらせようと努力し,フビライの日本征伐計画を阻止できないことを知ると,ことごとに高麗の安全をはかることに努めた。…

※「潘阜」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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