世界大百科事典(旧版)内の瀬波川の言及
【三面川】より
…【佐藤 裕治】
[歴史]
648年(大化4)大化改新政府が日本海側統治のため,渟足柵(ぬたりのさく)に次いで設けた磐舟柵(いわふねのさく)の所在地は三面川南部とみられ,いわば当時の大和朝廷支配の北限であった。古代では瀬波川とも呼ばれ,平安後期にはこの流域に越後城氏の勢力がのび,中御門家を本所とする小泉荘が立荘された。瀬波川はこのころ国領とされたが,荘家の侵略を受けしだいに小泉荘にとりこまれたとみられる。…
※「瀬波川」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」