世界大百科事典(旧版)内の火葬骨壺墓地文化の言及
【ハルシュタット文化】より
…ローマに先立つヨーロッパの初期鉄器時代前半はハルシュタットHallstatt時代,後半はラ・テーヌ時代(ラ・テーヌ文化)と呼ばれる。ただし,オーストリアのザルツブルク東南東約50kmの湖岸にある,採岩塩・墓地遺跡の名にちなむハルシュタット文化は,A~D期に分けられ,ハルシュタット時代・文化はこのうちC・D期の時代・文化であり,A・B期は青銅器時代に属する。西はフランス東部から東はカルパチ盆地に至る火葬骨壺墓地(アーンフィールドurnfield,ウルネンフェルトUrnenfeld(ドイツ語))文化の人びとが,ギリシア,エトルリアなどの先進文化や乗馬の風習を積極的に採り入れて成立した。…
【墳墓】より
…知られる最古の火葬はイラクのテペ・ガウラXV~XII層(ウルク期,前4000年)の実例である。ヨーロッパでは新石器時代初期(ダニューブ文化)にまれにみられるが,後期から青銅器時代にかけて大いに栄え,火葬骨を壺に納めたことが文化の名称(火葬骨壺墓地文化Urnfield Culture)に取り上げられるほどである。洗骨葬,再葬,二次葬などとされるものの最古の例は,新石器時代トルコのチャタル・ヒュユク(前6000年)のものであって,遺体を風葬し,鳥や昆虫についばませて骨だけとした後,布かマットに包んで住居の床下に土葬している。…
※「火葬骨壺墓地文化」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」