世界大百科事典(旧版)内の《無産階級運動の方向転換》の言及
【前衛】より
…山川らのほか堺利彦,荒畑寒村らが執筆した。なかでも山川は毎号執筆し,とくに〈少数の精英な革命的前衛〉が大衆の中へ入る必要性を説いた論文〈無産階級運動の方向転換〉(1922年7・8月合併号)は当時の運動に大きな影響をあたえ,彼を第1次日本共産党の理論的指導者とした。各号に〈当面の問題〉〈インタナショナルノート〉欄が設けられ,時事評論,各国共産主義運動が紹介され,また日本の運動理論の検討もなされている。…
【日本共産党】より
…発足した党は,同年11月のコミンテルン第4回大会でコミンテルン支部・日本共産党として承認された。 創立後,党は《前衛》7・8月号掲載の山川の〈無産階級運動の方向転換〉を指針として労働者や知識人に影響を拡大するとともに,1923年2月の第2回大会で,コミンテルン第4回大会のとき片山の参加で起草された〈君主制の廃止〉をはじめとする民主主義革命を骨子とする〈日本共産党綱領草案〉を審議したが,採択には至らなかった。同年5月の早稲田軍教事件をきっかけに当局は共産党の存在を知り,堺,山川,徳田,市川正一,野坂参三ら党員を逮捕し29名を治安警察法違反で起訴した。…
【山川イズム】より
…山川均によって提唱された,1920年代前半の日本マルクス主義の指導理論。1922年に発表された山川の《無産階級運動の方向転換》(《前衛》7・8月合併号)は,創設されたばかりの日本共産党の理論として,労働運動に大きな影響を与えた。とくに無政府主義的サンディカリスムが支配的であった労働運動の清算に少なからぬ役割を果たした。…
【山川均】より
…20年日本社会主義同盟,22年日本共産党の創立に参画,23年の第1次共産党事件では証拠不十分で無罪となった。この間22年《前衛》を創刊,同誌に載せた〈無産階級運動の方向転換〉は,当時の運動に大きな影響を与え,いわゆる〈山川イズム〉として,〈福本イズム〉が出現するまで最高の指針となった。27年堺,荒畑,猪俣津南雄らと《労農》を創刊,協同戦線論を展開するとともに労農派マルクス主義の総帥として活動。…
※「《無産階級運動の方向転換》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」