朝日日本歴史人物事典 「照山元瑶」の解説
照山元瑶
生年:寛永11.7.1(1634.7.25)
江戸前期の臨済宗の尼で,林丘寺の開山。後水尾上皇の第8皇女。母は櫛笥隆致の娘逢春門院隆子。幼名緋(朱,明)宮。寛永15(1638)年12月親王宣下,光子内親王と称す。寛文5(1665)年10月,竜渓性潜から菩薩戒を受け,延宝8(1680)年9月,父帝の死を契機に天竜寺住持の天外を戒師に剃髪した。すでに寛文年間(1661~73)父から修学院山荘内の別殿の楽只軒を与えられていたが,天和2(1682)年2月,境内に観音堂を建立し聖明山林丘寺として寺院にした。宝永4(1707)年に退隠して普明院宮と号す。信仰に厚く,若年より画技に優れて人物画を得意とし,観音菩薩を描いて教化に努めたという。<参考文献>洞院満季選『本朝皇胤紹運録』,『林丘寺法内親王行業記』
(岡佳子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報