…おそらく,熊野は死者の霊のこもる国として知られていたのであろう。それはやがて聖地と仰がれ,平安時代初期には,熊野坐(くまのにます)神社(のちの本宮),熊野早玉(はやたま)神社が成立し(《延喜式》),同中期にはその一角で埋経も行われ,卒都婆も建てられていた(《いほぬし》)。11世紀中ごろから,上記2社のほかに熊野那智神社が加わり,熊野三所権現,熊野三山などと総称されるようになった。…
※「熊野坐神社」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」