牛門の二秀才(読み)ぎゅうもんのにしゅうさい

世界大百科事典(旧版)内の牛門の二秀才の言及

【小栗風葉】より

…家業の薬屋を継がず文学を志して上京,尾崎紅葉に入門してその指導を受け,1896年(明治29)21歳で《亀甲鶴》を発表し文壇に登場。以後,同門の先輩泉鏡花と並び,牛門(ぎゆうもん)の二秀才と称せられて,長編《恋慕ながし》ほかの力作を発表,流麗けんらんたる文章の技巧で読者を酔わせた。日露戦争後の1905‐06年,長編《青春》を《読売新聞》に連載,当代青年の哀歓を描いて文壇随一の人気を博した。…

※「牛門の二秀才」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」