世界大百科事典(旧版)内の独ソ友好中立条約の言及
【シュトレーゼマン】より
…以後29年10月の死まで外相にとどまり,24年ドーズ案,25年ロカルノ条約を締結し,26年にはドイツを国際連盟に常任理事国として加盟させ,協調主義外交の全盛期を作った。他方では,独ソ間の秘密軍事協力を支持し,26年には独ソ友好中立条約(ベルリン条約)を結ぶなど,ソ連と西欧の対立を利用してドイツの強国化をはかった。29年賠償問題をめぐるヤング案交渉中に死去した。…
※「独ソ友好中立条約」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」