玉嶋主殿(読み)たましましゅでん

世界大百科事典(旧版)内の玉嶋主殿の言及

【若衆歌舞伎】より

…3代将軍家光は,若衆好きであったため,病中の慰みとして,彦作座や勘三郎座の若衆歌舞伎を江戸城に呼んでいる。家光の没後の1650年(慶安3)ころ,江戸では風紀を乱すとの理由で若衆歌舞伎を禁じ,見せしめのため玉嶋主殿,生嶋伊織などのスターの前髪を剃り落としたと伝えるが,おそらくは,徒党を組む一つの大きな力となる男色を禁じ,江戸における不穏な浪人の集結を防ぐ目的があったものと思われる。上方では,56年(明暦2)ころにも若衆歌舞伎が演じられていたようである。…

※「玉嶋主殿」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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