世界大百科事典(旧版)内の王立教授団の言及
【イタリア戦争】より
…また,遠征軍を通じて流入したイタリア・ルネサンスの文物は,フランスのルネサンス文化に大きな刺激を与えた。美術の領域では,絵画や彫刻のほか,ロアール河畔の城館やP.レスコの指揮したルーブル宮殿などの建築にイタリア様式が最もはっきり表れ,思想の分野では,1530年に設立された王立教授団(コレージュ・ド・フランス)を拠点とし,教会による支配に反対したユマニストたちに,イタリア人文主義の影響を見いだすことができる。さらに,1495年のシャルル8世によるナポリ占領は,以後フランス病ともナポリ病とも呼ばれることになる梅毒が,ヨーロッパ中に急速にまんえんするきっかけとなった。…
【コレージュ・ド・フランス】より
…フランス文部省直轄の高等教育機関。フランソア1世が人文主義者のギヨーム・ビュデの進言を入れて,1530年3月,王立教授団という名の下に創設した。当初は5人の講師しかおらず,ヘブライ語(2人),ギリシア語(2人),数学(1人)を教えた。…
【ビュデ】より
…こうした研究の基盤となった彼のギリシア語関係の造詣は《ギリシア語考》(1529)に集成され,永く後世を裨益した。また王立図書寮初代寮長として古代語写本の収集に努め,フランソア1世の側近として王権の文化政策に影響を与え,コレージュ・ド・フランスの前身にあたる王立教授団Lecteurs royauxの創設(1530)に尽力するなど,フランス・ルネサンスの父としての役割を果たした。【二宮 敬】。…
※「王立教授団」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」