世界大百科事典(旧版)内の琥珀の道の言及
【市】より
…交易・売買取引のための会同場所。市場(いちば)ともいう。いろいろな形態の市が,古代から世界のほとんどの社会に認められる。K.ポランニーによれば,人間社会の歴史全体からみると,生産と分配の過程には,三つの類型の社会制度が存在しており,古代あるいは未開の社会から現代諸社会まで,それらが単一にあるいは複合しながら経済過程の機構をつくってきた。それらは,(1)互酬reciprocity 諸社会集団が特定のパターンに従って相互に贈与しあう,(2)再分配redistribution 族長・王など,その社会の権力の中心にものが集まり,それから再び成員にもたらされる,(3)交換exchange ものとものとの等価性が当事者間で了解されるに十分なだけの安定した価値体系が成立しているもとで,個人間・集団間に交わされる財・サービス等の往復運動,の3類型であり,それぞれの類型は社会構造と密接に連関をもって存在している。…
【コハク(琥珀)】より
…熱すると150℃で軟化し,250~300℃で溶解するので,小片材料を加熱圧縮成形した再生コハク(アンブロイドambroid)が代用品として普及している。【近山 晶】 ヨーロッパでは,コハクは新石器時代以来,〈琥珀の道〉と呼ばれる交易路を通じて全ヨーロッパに広がった。その一つはドイツ中部を縦断し,ブレンナー峠を越えてアドリア海北部に達し,さらにギリシア,クレタへ至る道であり,もう一つはドイツからブルターニュ,イギリスへ向かう道である。…
【道】より
…主として経済上の目的と軍事上の目的のために建設され,名誉ある者ならだれでも自由に通行できた。すでにローマ時代にゲルマニアの森や湿地帯を貫いてバルト海や北海と北イタリアを結んでいた〈琥珀の道〉には,コハク(琥珀)の産地であるプロイセンのザムラントから船でワイクセル(ビスワ)河口に運ばれたコハクを南のブレスラウを経て,メーレンを通り,ドナウ川を下ってウィーンの近くまで運び,そこからさらに北イタリアに運ぶ街道と並んでいくつかのルートがあった。塩や銅やワインを運ぶ道も遠く離れた各地域をつないでいたし,ローマ時代にすでにバーゼル~シュトラスブール~ケルン~ライデンへとライン川沿いの道がつくられていた。…
※「琥珀の道」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」