世界大百科事典(旧版)内の瑠璃光坊道以の言及
【日置弾正正次】より
…明応年間(1492‐1501)の人であるが,生没年は不詳。伊賀(三重県)の生れ(大和説もあり)で,宗品,影光,豊秀とも称し,落髪して瑠璃光坊道以(威徳)と称した。北面の武士として戦場で名をあげたが,致仕してから射術修業に専念,その技は精妙を極め,飛・貫・中の悟りを開き近世射術の基礎を築いた。…
※「瑠璃光坊道以」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
…明応年間(1492‐1501)の人であるが,生没年は不詳。伊賀(三重県)の生れ(大和説もあり)で,宗品,影光,豊秀とも称し,落髪して瑠璃光坊道以(威徳)と称した。北面の武士として戦場で名をあげたが,致仕してから射術修業に専念,その技は精妙を極め,飛・貫・中の悟りを開き近世射術の基礎を築いた。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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