世界大百科事典(旧版)内の《生れの正しいイギリス人》の言及
【デフォー】より
…ウィリアム3世即位のころ,デフォーと改姓し文筆活動を始める。《企画論》(1697)を著して世に出,さらに外国生れのウィリアム3世への悪口に対抗して王を弁護した風刺詩《生れの正しいイギリス人》(1701)を発表して一躍名をなした。しかしウィリアム3世の死後,極端なトーリー的立場を風刺した文章《非国教徒処理の捷径(しようけい)》(1702)のために捕らえられ,3日間のさらし台の刑に処せられた。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」