世界大百科事典(旧版)内の産業復興会議の言及
【経済復興会議】より
…経済復興会議の方針は,業種別・地方別の経済復興会議と個別企業内の経営協議会を中心とする,労使協力による経済復興であった。しかし,総同盟と経営者団体はこれらの組織を労使協調組織として重視したのに対し,産別会議は1946年10月に産業復興会議を結成し〈ゼネストで経済復興〉を唱えていたので,経済復興会議に参加後もこれらの組織を労使協調組織とは考えず,労働者の手による経済復興を唱えて団体交渉やストライキを重視し実行した。会議結成当初からあった両者間の対立はしだいに激化し,総同盟と経営者団体が産別など共産党系労働組合を排除するために会議解散と再発足を要求するに及んで,対立は頂点に達した。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」