世界大百科事典(旧版)内の田中ビワの言及
【田中芳男】より
…明治新政府でも,ウィーン,フィラデルフィアの万国博覧会に派遣され,新知識を吸収した。駒場農学校(1878年創立,東大農学部の前身)や上野の山に博物館,動物園を創設,また公園を作るほか,セイヨウリンゴや田中ビワ(枇杷)を広めた。蔵書約6000冊は東京大学に田中文庫として保存されている。…
【ビワ(枇杷)】より
…バラ科の常緑果樹(イラスト)。小高木で,枝は太く,柔毛を密生する。葉は互生し,革質で長楕円形から倒狭卵形。粗鋸歯がある。花は初冬に,枝端の褐色の綿毛をかぶった円錐花序に多数つき,白色。果実は5~6月に橙黄色に熟し,内に大きな種子を有する。中国の中・南部や日本の南西暖地に原産したと推定されているが,中国での栽培歴は古く,6世紀に著された《広志》には白肉種と黄肉種の存在が記されている。現在ではすぐれた品種は接木によって繁殖されるが,実生繁殖で増殖されることもあるため,品質は雑多である。…
※「田中ビワ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」