世界大百科事典(旧版)内の甲斐の徳本の言及
【医学】より
…著書《啓迪集》8巻(1573)もよく読まれた。永田は,自らは知足斎と称して栄達を求めず,諸国を遍歴して診療をし,〈甲斐の徳本〉とよばれて尊敬された。
[ヨーロッパ医学の伝播]
1543年ポルトガルの商船が種子島に漂着してから,ヨーロッパとの交流の道がひらけた。…
【永田徳本】より
…生年は不詳,没年は1630年(寛永7)118歳説と49年(慶安2)または52年(承応1)90余歳説があり,生国も諸説(三河,美濃,信濃,甲斐)があって定かでない。甲斐在住が最も長いとして甲斐の徳本と呼ばれた。知足斎と号し,また乾堂,茅堂ともいった。…
※「甲斐の徳本」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」