朝日日本歴史人物事典 「町田宗加」の解説
町田宗加
生年:生年不詳
江戸前期のキリシタン。長崎六町時代からの町の頭人,のちの町年寄のひとり。霊名ジョアン(日本語で寿安)。長崎の慈悲の組(キリシタンの信心会)が慶長7(1602)年イエズス会総長に出した手紙のサインに「ジョアン町田宗可」,元和4(1618)年『コーロス徴収文書』に「町田宗加寿庵」,元和7(1621)年のウルバノ8世への長崎信徒奉答文に「町田寿安」と宗加の署名花押が残り,長崎の町政とキリシタンの指導者であったことを物語る。寛永3(1626)年長崎奉行の迫害強化によって長崎を追放され,奥州にあって寛永8(1632)年二本松で火あぶりの刑で殉教した。『長崎根元記』にも町田家が滅ぶとある。<参考文献>L.パジェス『日本切支丹殉教史』
(片岡千鶴子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報