世界大百科事典(旧版)内の畠山弥三郎の言及
【応仁・文明の乱】より
…室町時代末期にあたる1467‐77年(応仁1‐文明9)に京都を中心に全国的規模で展開された内乱。この乱では,東軍(細川勝元方)と西軍(山名持豊(宗全)方)に分かれて,全国各地ではげしい合戦が展開され,中央の状況だけではなく各地の政治的状況が反映していた。
【原因】
[家督争い]
乱の原因は複雑な要素からなっていたが,その中でも表面だった要因の一つに,有力守護家内部における家督争いと,有力守護大名間の対立があげられる。…
※「畠山弥三郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」