異見十七ヵ条(読み)いけんじゅうしちかじょう

世界大百科事典(旧版)内の異見十七ヵ条の言及

【安土桃山時代】より

…そして,翌71年には反信長的態度をとる比叡山の焼打ちを行っている。さらに72年の〈異見十七ヵ条〉によって信長は義昭の違約を厳しく責め,身分の低い土民百姓までも陰では将軍の悪口を言っていると述べている。 信長は入京の際,義昭の副将軍就任要請をことわり,,大津,草津に代官を置くことを求めたといわれる。…

※「異見十七ヵ条」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」