世界大百科事典(旧版)内の畿湖学派の言及
【金長生】より
…宋翼弼,李栗谷(りりつこく)の門人で,子の金集とともに礼学の大家とされる。学行により推挙されて任官し,日本や後金の侵入の際には軍糧米調達に活躍したが,晩年は郷里で教育に専心し,門人に宋時烈,宋浚吉等を輩出して畿湖学派の主流をなした。著書には朱熹の《家礼》に関する諸家の学説を編集した《家礼輯覧》や,《近思録釈意》等がある。…
【李栗谷】より
…彼の学問は根本原理の洞察を重んじ,それを民生などの実際面に生かそうとするもので,理気論では理気二元論をとり,〈理通気局説〉をとなえて理の優位をみとめたが,李退渓とは異なり理の動静(運動性)は否定した。彼は23歳のとき李退渓を訪問し,終生敬意を表したが,のちに彼の学統を継ぐ畿湖学派が形成され,党争とも関連して李退渓を仰ぐ嶺南学派と鋭く対立するようになった(〈儒教〉[朝鮮]の項を参照)。門人に礼学の大家金長生や,鄭曄,趙憲らを輩出し,著書には《聖学輯要》《東湖問答》《撃蒙要訣》等を収めた《栗谷全書》がある。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」