世界大百科事典(旧版)内の白いフンの言及
【エフタル】より
…5世紀半ばころから,突厥とササン朝ペルシアに分割される(558‐561)まで,インド,南ロシア,中国,ペルシアを結ぶ貿易路上の要地,ヒンドゥークシュ山系一帯に拠って繁栄し,遊牧生活と都市生活をあわせもった強大な国家を築いた。インド,ビザンティンの史料では〈白いフン〉と記され,国家の滅亡後も7世紀にはヘラートからのアラブ支配に抵抗し,8世紀にも名を残す。トルコ系,アルタイ系説もあるが,アフガニスタンのスルフ・コタルSurkh Kotal発掘などにより,イラン系説が有力である。…
※「白いフン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」