白山衆徒(読み)はくさんしゅうと

世界大百科事典(旧版)内の白山衆徒の言及

【白山比咩神社】より

…また独自の白山修験の教団組織とか御師(おし)の発達はみられなかったが,修験道の霊場として古来著名であったので止宿する修行僧や修験者も多かった。これらも含めて白山衆徒と称された社僧や神人(じにん)は,白山本宮,白山寺を支配したのみならず,守護勢力の弱かった鎌倉時代以後の加賀では,在地小領主の国人層や国衙と対抗するだけの勢力を保ち続けたが,室町時代末期の一向一揆によってその世俗的権力は衰微,社頭も荒廃した。社殿の復興は,江戸時代に加賀藩主前田家の保護を得てからである。…

※「白山衆徒」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」