世界大百科事典(旧版)内の白黒騒動の言及
【小倉藩】より
…この間,1671年忠雄が弟真方に新田1万石を与え,支藩の新田藩(のち千束(ちづか)藩)を分立させた。18世紀後半,農村の荒廃,藩財政の窮乏に対処して,犬甘(いぬかい)兵庫を中心とする藩政改革が行われたが,農村の荒廃はいっそう進み,また犬甘らと上層守旧派との対立が激化し,ついに1814年(文化11)の白黒騒動へと発展した。その後52年(嘉永5)より家老島村志津摩らが藩政改革を実施して富国強兵をめざしたが,佐幕一辺倒の藩内にも彦山を中心に尊攘派の動きが目立った。…
※「白黒騒動」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」