世界大百科事典(旧版)内の百人衆郷士の言及
【郷士】より
…山内氏は彼らを懐柔するため13年に長宗我部氏遺臣の中からいわゆる慶長郷士を登用した。その後百人衆郷士,百人衆並郷士を取り立てた。これらはいずれも旧族郷士である。…
【野市[町]】より
…町域一帯は中世,宗我(そがべ)郷(香宗我部(こうそがべ)郷),深淵郷と称され,鎌倉初期の地頭中原氏を祖とする香宗我部氏が戦国時代まで勢力をふるい,土居に香宗我部城(香宗土居)跡や同氏の菩提寺宝鏡寺がある。野市は,江戸前期に土佐藩執政野中兼山が長宗我部氏の遺臣を郷士(百人衆郷士)に取り立てて開拓を奨励,在郷町として開けたところ。県下の農業先進地帯で米の二期作や野菜の促成栽培が行われ,現在は施設園芸が盛ん。…
※「百人衆郷士」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」