朝日日本歴史人物事典 「益田甚兵衛」の解説
益田甚兵衛
生年:生年不詳
寛永14~15(1637~38)年島原・天草一揆の指導者。益田時貞(天草四郎)の父親で小西家浪人。肥後国(熊本県)宇土郡江部村に帰農したが,杢右衛門,善右衛門,源右衛門,宗意,山善右衛門らと終末論を広め,一揆を組織した。<参考文献>岡田章雄『天草時貞』
(深谷克己)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
(深谷克己)
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…居住地から江辺四郎,大矢野四郎,一揆の首領として天草四郎太夫時貞,天の四郎秀綱などと呼ばれ,洗礼名はジェロニモといわれるが,正確な素性はほとんど不明である。父益田甚兵衛はかつて小西行長に仕えた帰農武士といわれ,捕らわれた母親の陳述では,時貞は9歳で手習いを始め,学問のために長崎へも行ったという。一揆の首謀者である一部の庄屋や牢人たちは,彼を農民結集の核として天より下った救世主に仕立て,さまざまな奇跡を演じさせた。…
※「益田甚兵衛」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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