世界大百科事典(旧版)内の真平王の言及
【新羅】より
…562年には高霊加羅をはじめ加羅諸国を傘下におさめ,漢江流域を制圧し,東海(日本海)岸では咸鏡南道北部まで勢力をのばし,ここに四方軍主をおいて,地方制度を州・郡まで整備した。 ついで真平王代(579‐632)では,中央官職や軍官職・軍団など諸制度の整備をすすめたが,その官制は貴族体制の制度化で,まだ官僚体制ではなく貴族の請負制で,重要な職掌は複数貴族の合議制であり,軍隊は貴族の私兵や宗教的な花郎(かろう)の集団が中心となっている。この時期の国際関係では,三国間の抗争は小康状態であるが,この間に隋・唐の統一国家が中国に生まれ,朝鮮にも統一の気運が生じていた。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」