世界大百科事典(旧版)内の真興王巡狩碑の言及
【真興王拓境碑】より
…朝鮮,新羅の真興王は高句麗と百済の間隙をついて三方に領域を大いに広め(拓境),その記念に各地に碑を建て人民を慰撫(いぶ)した。真興王巡狩碑とも真興王巡狩管境碑とも称される。従来次の4碑が知られ,1978年に忠清北道丹陽の山城跡で発見された赤城碑を加えると5碑になる。…
※「真興王巡狩碑」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
…朝鮮,新羅の真興王は高句麗と百済の間隙をついて三方に領域を大いに広め(拓境),その記念に各地に碑を建て人民を慰撫(いぶ)した。真興王巡狩碑とも真興王巡狩管境碑とも称される。従来次の4碑が知られ,1978年に忠清北道丹陽の山城跡で発見された赤城碑を加えると5碑になる。…
※「真興王巡狩碑」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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