矢野城合戦(読み)やのじょうがっせん

世界大百科事典(旧版)内の矢野城合戦の言及

【安芸国】より

…なお鎌倉時代には王朝国家権力はなお根強く,沼田荘では仁治・建長・文永・弘安と領主の正検が行われており,国衙領においても,97年(永仁5)承久以後の武士の押領を停止するため一国平均の国検実施が認められている。 1335年(建武2)足利尊氏が鎌倉で反旗を翻すと,当国では武田信武の下に国内の武士が結集し,同年12月の矢野城合戦では毛利,熊谷,吉川以下の諸氏が信武の麾下(きか)で参戦し,宮方の熊谷蓮覚を滅ぼして東上した。翌年2月西走の途次室津で尊氏が定めた部将配置では,安芸には桃井義盛と小早川一族が差し置かれた。…

※「矢野城合戦」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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