世界大百科事典(旧版)内の石申の言及
【中国天文学】より
…惑星の中,とくに木星(〈歳星〉という)の位置によって国家の安危を占うことが行われ,そのために〈二十八宿〉や〈十二次〉によって天空を分割することが行われた。戦国時代になると石申や甘徳などの天文学者が出て盛んに天体観測を行ったが,前4世紀の半ばごろには1年を3651/4日とする〈四分暦〉が考案され,19年や76年の周期を利用して整然とした太陰太陽暦がつくられた。これらの周期は,同じく太陰太陽暦を使用したギリシアでも知られ,提唱した天文学者の名にちなんで,それぞれメトン周期,カリポス周期と呼ばれた。…
【二十八宿】より
…漢代初めの前2世紀の馬王堆3号漢墓出土の五星運行表や,同じ世紀にできた《淮南子(えなんじ)》《史記》などにも二十八宿名が完全な形で見える。 二十八宿の距星については,成立の初期とその後とには異同があったが,前4世紀に魏の石申によって整備された方法を継承した《漢書》律暦志以後は,一貫して図に示したのとほぼ同じ星が採用された。戦国時代の石申らは二十八宿星を含む観測を行い,入宿度と去極度を観測し,漢代には太初改暦(前104)のときに落下閎らが赤道宿度を決定した。…
※「石申」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」