神保内蔵助(読み)じんぼう・くらのすけ

朝日日本歴史人物事典 「神保内蔵助」の解説

神保内蔵助

没年:明治1.8.23(1868.10.8)
生年:文化13(1816)
幕末維新期の会津藩(福島県)家老。名は利孝,内蔵助と称した。経周の子として若松に生まれる。文久3(1863)年家老に就任した。その前年,藩主松平容保が京都守護職に任命され,これに伴い一隊を率いて上洛。元治1(1864)年の長州藩尊攘派による禁門の変に際しては,山崎天王山に立てこもった真木和泉らを攻めて自殺に追い込むなど戦功をたてた。のち官軍と会津に戦い,苦戦の末自刃。なお会津史研究に必須の『七年史』の著者,北原雅長は彼の次男である。<参考文献>飯沼関弥編『会津藩執政年表』

(家近良樹)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「神保内蔵助」の解説

神保内蔵助 じんぼ-くらのすけ

神保利孝(じんぼ-としたか)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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