禅儒(読み)ぜんじゅ

世界大百科事典(旧版)内の禅儒の言及

【儒教】より

…それをもたらしたのは元の侵略を逃れて渡来した中国の禅僧や,中国に学んだ五山の禅僧たちであった。彼らは禅儒一致の立場をとったが,初め禅が圧倒的に優位を占めた禅と儒教との関係はしだいに転倒し,中世末期には形は僧だが思想は儒者ともいうべき禅儒たちの出現をみるにいたった。他方博士家の一つ清原家の学問は宋学を受け入れることによって大いに進み,折衷的学風を脱することはできなかったが近世儒学を準備した。…

※「禅儒」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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