稲庭時国(読み)いなばときくに

世界大百科事典(旧版)内の稲庭時国の言及

【太良荘】より

…若狭国遠敷(おにゆう)郡にあった荘園。現在地は小浜市太良庄。1125年(天治2)平師季の子丹生隆清が私領の松永保恒枝名田,東郷丹生村,西郷太郎畠を太郎忠政に譲与,この田畠を中心に国衙領の太良保が立てられた。史料上の初見は51年(仁平1)。忠政の子若丸は叡山の山僧丹生出羽房雲厳となり,78年(治承2)知行国主により公文職に補任され,治承・寿永の内乱を若狭最大の在庁官人である稲庭時定の指揮下で戦い,鎌倉殿御家人になった。…

※「稲庭時国」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む