稷下の学士(読み)しょくかのがくし

世界大百科事典(旧版)内の稷下の学士の言及

【淄博】より

…殷・周以前からの文化の伝統をもち,春秋戦国時代を通じて,華北の雄国であった斉の基盤の地はここであった。国都の臨淄(臨菑,臨甾)は,10万近い人口を擁し,商工業が発達していたのに加え,中原よりもむしろ高い文化の伝統を誇り,西門の稷門(しよくもん)付近には全国から学者文士が集まった(稷下の学士)といわれる。今もその遺跡は残り,周囲14km余の長方形の大城と,その南西隅に小城(周囲7km余)をもつ二重の城壁が発見されている。…

【稷門】より

…戦国斉の盛時,学問を愛好した威王や宣王は学者を招き,稷門付近に邸宅を建てて住まわせ,多額の生活費を与えて論争や著述に従事させた。その数は数百人から1000人にものぼり,稷下の学士とか稷下先生とよばれた。宣王時代の鄒衍(すうえん),淳于髡(じゆんうこん),田駢(でんべん),慎到らはとくに有名である。…

【諸子百家】より

…また,彼らを保護した有力君主も出現,たとえば斉の威王・宣王(在位,前378‐前324)らは臨淄(りんし)の都城の稷門(しよくもん)付近に参集した〈文学の士〉に邸第を与え,仕官を条件とせず自由討議をさせている。この〈稷下の学士〉には,騶衍(すうえん),騶奭(すうせき),淳于髡(じゆんうこん),田駢(でんべん),接子,慎到,環淵や〈管子〉学派があり,孟子や荀子の徒ものちに名を連ねた。この九流の学士たちは,互いの接触を通じて説話の比喩や弁争の論理をみがき,学説の相互理解も深まり,相手の理論を自己の主張に組み入れて他派に優位に立とうとした。…

※「稷下の学士」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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