山川 世界史小辞典 改訂新版 「突騎施」の解説
突騎施(とつきし)
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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…これ以後,突厥,ついで鉄勒諸部は巧みな離間政策に基づく唐の間接(羈縻(きび))支配を受けることになり,唐の勢力は7世紀半ばには中央アジアまで及んだ。この方面では西突厥十部の中から,7世紀末に突騎施(トゥルギシュ)が独立し,8世紀初頭に西突厥は滅び,唐の支配も天山東部まで後退した。 7世紀末,唐支配下の東突厥の間に自立の気運が高まり,682年,阿史那氏の骨咄禄(クトルクQutlugh)が陰山山脈に拠って中国北辺の唐勢力を破り,かつての本拠地ユチュケン山を回復して,北方鉄勒諸部を討って頡跌利施(イルティリシュIltirish)可汗(在位682‐691)を称した。…
※「突騎施」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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