窺岩面外里廃寺(読み)きがんめんがいりはいじ

世界大百科事典(旧版)内の窺岩面外里廃寺の言及

【塼】より

…三国時代の高句麗では,北魏系と思われる幾何学文の塼が作られている。百済では,南朝梁の濃厚な影響をうけた蓮華文や唐草文の塼が作られ,一種の画像塼とみられる扶余の窺岩面外里廃寺の各種文様塼は,百済独特の様式を形成している。統一新羅時代には,唐の影響をうけた華麗な文様塼が発達しており,慶州雁鴨池の宮殿に使われた宝相華文塼などは,量産化による退化現象が顕著な唐代の文様塼よりもすぐれた製品になっている。…

【塼】より

…三国時代の高句麗では,北魏系と思われる幾何学文の塼が作られている。百済では,南朝梁の濃厚な影響をうけた蓮華文や唐草文の塼が作られ,一種の画像塼とみられる扶余の窺岩面外里廃寺の各種文様塼は,百済独特の様式を形成している。統一新羅時代には,唐の影響をうけた華麗な文様塼が発達しており,慶州雁鴨池の宮殿に使われた宝相華文塼などは,量産化による退化現象が顕著な唐代の文様塼よりもすぐれた製品になっている。…

※「窺岩面外里廃寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

「歓喜の歌」の合唱で知られ、聴力をほぼ失ったベートーベンが晩年に完成させた最後の交響曲。第4楽章にある合唱は人生の苦悩と喜び、全人類の兄弟愛をたたえたシラーの詩が基で欧州連合(EU)の歌にも指定され...

ベートーベンの「第九」の用語解説を読む