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竹本此太夫 たけもと このたゆう

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

竹本此太夫 たけもと-このたゆう

豊竹筑前少掾(とよたけ-ちくぜんのしょうじょう)

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典内の竹本此太夫の言及

【竹田出雲】より

…歌舞伎の影響もあって舞台本位に急なあまり,文章上の矛盾もまた見られた。さらに人形遣いの発言力も増し,1748年(寛延1)《仮名手本忠臣蔵》初演のとき,吉田文三郎と竹本此太夫との衝突事件で座本の出雲が文三郎に加担したため,此太夫ほかの太夫が豊竹座に移り,以後,竹本西風の芸と豊竹東風の芸との乱れを生じたことは座経営上の失敗であった。おもな作品(小出雲時代を除く)は《傾城枕軍談》(1747),《義経千本桜》(1747),《仮名手本忠臣蔵》(1748),《粟島譜嫁入雛形(あわしまけいずよめいりひながた)》(1749),《双蝶々曲輪日記(ふたつちようちようくるわにつき)》(1749)など。…

【豊竹筑前少掾】より

…陸奥茂太夫の門人で,本名は岸本屋善兵衛。初め陸奥伊太夫と称し出羽芝居に出演していたが,1737年(元文2),竹本座へ移り,竹本美濃太夫,さらに竹本此太夫となる。播磨少掾(竹本政太夫)没後は義太夫節第三世代の旗頭として竹本座を背負って立った。…

【吉田文三郎】より

…《夏祭浪花鑑(なつまつりなにわかがみ)》で初めて人形に帷子(かたびら)を着せ,立回りに本泥水を使い,《義経千本桜》の佐藤忠信の人形に竹本政太夫の源氏車の紋を用いるなど,その演出は現在も踏襲されている。48年(寛延1)の《仮名手本忠臣蔵》では櫓下(やぐらした)の竹本此太夫と舞台演出の問題で衝突,此太夫は竹本座を退座して豊竹座に移ったため東風西風の浄瑠璃の曲風が乱れる因をなした。作者としては合作であるが,《恋女房染分手綱(こいにようぼうそめわけたづな)》など15編の作品を残している。…

※「竹本此太夫」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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