世界大百科事典(旧版)内の竺法雅の言及
【格義仏教】より
…時代的には西晋末から東晋(317‐420)にかけて盛行し,老荘玄学が主流を占めた思想界の状況を反映して,老荘の〈無〉の思想によって般若経典の〈空〉の思想を解釈することが行われた。西晋末の竺法雅は豊かな中国古典の教養を活用して仏教に暗い知識人を教導し,格義仏教の端緒を開いたが,やがて原典から遊離した格義による〈空〉義研究は多くの異論を生み,道安の批判を招く結果となった。その後5世紀初頭にクマーラジーバ(鳩摩羅什(くまらじゆう))によって竜樹の般若教学の体系が紹介されるに及んで,格義仏教はその歴史的使命を終えた。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」