世界大百科事典(旧版)内の第一議員俱楽部の言及
【昭和会】より
…林銑十郎内閣では,党籍離脱の要求に応じた山崎達之輔(農・逓相)がただ一人の政党からの入閣者となり,昭和会は唯一の与党と目されたが,37年4月総選挙では当選19名とさらに党勢を減じ,政民両党連携の倒閣運動が展開されるなかで,5月21日の総会で解党を決議,林内閣より一足先に消滅した。以後,国民同盟,日本革新党などとともに衆議院の院内団体として第一議員俱楽部を組織していたが,39年4~5月の政友会分裂に際して,その大半は政友会中島知久平派に復帰していった。【古屋 哲夫】。…
※「第一議員俱楽部」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」